作文は学校でよく課題にされます。
それは
文科省の指針
「考える力」を育てる
が形を変えたものの
一つなのでしょう。
ということは 作文は
時代が必要としているもの
と言えます。
どうもこういったことには
時代背景が関わりやすく
詰め込み教育全盛期には、意見されずらかったことです。
ところで
討論や発表を重視する教育
は 西洋的な香りがします。
その西洋が うまくいっているのならいいのですが
そうとばかりは・・・
自国を愛するのは素晴らしいかもしれませんが
だから他国を否定するのは、
片目をつぶって物を見ているのと 同じです。
作文も「自己表現一辺倒」で行くと
エゴの角ばった大人を大量生産する可能性があり
ぶつかりあい・縄張り意識・勝ち負け意識の高い時代となることでしょう
しかし本当は
誰もが調和を求めています
誰の心の中にも
世界平和を求める声が、あるでしょう。
「自己表現」を濃く出すには 論文が向いています
・・・論の文、つまり意見文ですからね・・・
作文は、同じ自己表現でも
表現についてのこだわりという面が強いので
協力・シナジー意識・総体意識の高い時代を生む
基盤になり得ます
こっちの意見が正しい
そっちが間違っている
と言い合うものではないのです。
(論文にはそういう面が出やすいものです)