日本史に詳しい人は
奈良時代までの仏教は顕教といい
学問としての宗教だったと、聞いたことがあるかもしれません。
一方、平安時代あたりからの仏教は密教色が強くなり
呪文を唱えるなどして現実問題を解決する方向性が強くなり
現実が基準になったと、言えそうです。
ところで、作文の顕教とは
理論・理屈を研究することになるでしょうか。
一方、作文の密教とは
「作文やって、結局何になるの?」「何に使うの?」
が基準になるかもしれません。
顕教の作文は
身近なところでは 効果をすぐに発揮しずらいかもしれません。
あたかも砂場で高い山を作るために
半径を広げていくようなものです。
密教の作文は
気合で効果的な作文を書こうとする作品に 当てはまるかもしれません。
理論も気合も、おそらくどちらも必要でしょう。
でもみなさんにはまずは
理論を身につけて頂きたい。
そうすれば
気合で山を高くすることが
できるでしょうから