1968年東京生まれ。通信講座クレア作文学校・個別指導塾クレアアカデミー創業者。
早稲田大学文学部を卒業後、単身米国ロサンゼルスに移住。多文化に触れ視野を広めるが、ビザの関係で失職、帰国する。それまでの経験を子供達の成長に役立てるべく、2003年クレアアカデミーを設立。独自教材「数学ビル」など教材開発も手掛ける。一方、絵画制作等を行う芸術家でもある。
間を埋めるドリルで作文力が付く!
わが子を算数・数学のできる子にする方法
- [ 著作 ]
- 「わが子を算数・数学のできる子にする方法」(PHP新書)
- 「百歳を生きる力」(ケネスチャン博士と共著 日本実業出版社)
- 「間を埋めるドリルで作文力が付く!」(ソーシャルブックストア)
子供の頃学校で習った「作文の書き方」とは、段落を変えるときはひとマス空ける、一番下に来た句読点はこう書く、ここの漢字が間違ってる、送り仮名が間違ってる、などの指摘を受けることでした。肝心な作文の書き方…どうすれば文章に奥行きや臨場感、空気感が出せるか、どうしたら読んでいる人に気持ちを的確に伝えられるか、どうしたら一行で終わってしまう内容を何枚にも渡って描くことができるか、など…について耳を澄まして待っていたのですが、ついに聞くことはありませんでした。これが、今も昔も変わらぬ学校での「作文の授業」の実情です。
また、大学の文学部でも、用意されている学科は日本文学、英米文学、ロシア文学など「作品を読む側」の研究に属するものが、圧倒的な幅を占めております。しかし、まず「つくる人」がいなくては、作品は存在しません。作品がなくては、読み手も存在しません。それゆえ、文学が行うべき第一の研究は「文学のつくりかた」であって、創り出されたあとの作業になる「読む研究」は、2次的な学問になるはずです。
中には、数は少ないのですが創作コースを設けている大学もあります。私も学生時代は創作専門の学科に在籍していました。また、世の中には創作を意図したカルチャースクールも多々あります。
ただ、そこでは先生ごとに「書き方」が違うことに気づかされます。これこそが、文学の現状を示唆しています。
文学部の中の文学科、その中心に位置するはずの「つくる側の知識」が、小中学校はともかく最高学府においてでさえ、教える人の主観や経験に委ねられているのが現状です。これが例えば他の学問、例えば生物学だったら、骨格や筋肉の位置が、教える側の考えによっていちいち動くことはありません。
つまり「いつの時代、どこの場所でも通用する普遍の文学創作学」は、21世紀初頭の現在、まだ世界の共通認識が存在しないにも等しいのが、現状と言わざるを得ません。
例えば建築学科で建築学を学べば、それによって建物を建てることができます。また、学ばなければ高層建築などはとても建てれません。ところが、文学部出身でも作文の下手な人は、世の中に普通にいます。また、作家と呼ばれる人達は必ずしも文学部に在籍したわけではなく、多くは個人的な読書や作文を繰り返して創り手になっています。
これがわかると、小中学校や高校での作文指導が形だけに終始していることも、理解できます。大学が「文学」(=文章のつくり方)を持っていなければ、公教育の現場に何もないのは、むしろ当然なことであります。現場の先生方は、さぞお困りなことでしょう。
肝心な「泉」の発生の仕方を研究せずに、他のこと、例えば誰々という作家の生年月日から生い立ちから思想から当時の歴史的背景を調べ上げたり、作品の感想の言い合いなどをいくらやったところで、自分の作品一つ書けるようにはなりません。筆を一回も取ったことのない美大生が、ピカソの生い立ちだ、絵具の組成だメーカーだ、構図だテーマだ、スタイルの歴史的変遷だと学んだところで、絵が描けるかというと全く別の話なのです。
いやむしろ、他人の作品ばかりを研究し続ければ「○○風」(○○は任意の作家名)になりやすいかもしれません。書く技術が文学風になるのはいいのですが、テーマが誰か風になるのであれば問題です。素直に「自分らしさ」で勝負すべきところで、あなたが他の誰かになってしまったら、一体誰があなたになるのでしょう。
自分の考えやものの感じ方を磨いていくことは、文学の技術以上に大切なことではないかと思います。
しかし「作り方」に焦点が当たれば、よりよい書き方が切磋琢磨され、最新技術が開発され、普遍化され、それがそのまま「ザ・文学」といえる学問になるのではないか、そうなって初めて、文学が世に役立つ学問になる。そのときには、出来上がった文章の出来栄えをあれこれ批評するのではなく、創り方そのものを批評する時代になる。情報化社会の風に乗った「つくり方」という種が世界中に播かれ、その中のいくつかから芽が伸び、果実は世の中を文化の光で照らし出していくのではないか。
そういう思いに行きあたり、いくつもの作家向けカルチャースクールに出向き、体験授業を受けたり講座を受けるなどして現状を分析、彼らの考え方をノートし、そこから共通項を見つけ、私自身も文章を書きながら研究を続けてきました。
こうして発見してきたことのエッセンスをさらに分かりやすくしたものを、個別指導塾「クレア・アカデミー」で2004年あたりから実験的に取り入れてみました。すると、受講生に劇的な変化が即座に現われることに驚いたものです。最初の授業だけで大きな変化を遂げる子も、たくさん見てきました。それが、回を追うごとにより洗練されていきます。
大人でも書けない微妙な描写をもった作文を読まれた方が「この子の場合は、元から特別な文才が眠っていたに違いない」という言葉を発せられたとき、意外な思いをしたものです。その子はやる気はあっても作文が苦手か、または全く書けずにいた子でした。
それは建築家が「建築学」を応用して建物をつくるように、「作文の技術」を使うことによってできる単純な現象なのです。
そうしてこの知識を、広く世の中に伝えていくために、通信講座クレア作文学校を立ち上げました。この講座には、これら実証済みの技術が凝縮されています。大学四年間を文学に費やした人よりも、遥かに多くの文章変化を体験することでしょう。
この講座が思わぬ転機となって作文が好きになり、文章をつくる楽しさを知る人が増えていくのが楽しみです。
そして受講者の中から、明日の文学を創りあげる人が出てきても、決して不思議には思いません。
そういう人がたくさん現れ始めたとき、我が国は「文芸を創造する国」の側に立つ準備が整います。
それによって日本が、文芸の輸出大国になることを夢見ています。
まず最初に申し上げたいことは、この講座は「作文」の講座であって、「小論文」の講座ではありません。「作文」は自らの体験を綴るもの、「小論文」は自らの意見を説明するものになります。他にも社会人の方は報告文を書くことが多いでしょうし、街中にはキャッチコピーの宣伝文が溢れています。「作文」とは、これらともまた異なります。
しかし、作文こそが全ての文章の基礎にあるのも、また事実でしょう。例えばこの講座で「出来事の途中を書く実習」というものが出てきます。そのような書き方を身につけることによって、臨場感のある、小説のような文体になってきます。
しかし、それが身に着けば逆のこともできます。途中経過を省いて結論だけ書けば報告文、結論と経過を書けば説明文、自分の意見について経過的に証拠・参考意見の補強を加えていけば小論文が生まれます。
今日の情報化社会では、文章と縁を切って過ごすことは非常に困難です。またそのことは、裏返しすれば文章への苦手意識が得意に代われば、そのままあなたの人生で一生の武器になることでしょう。作文とは決して、必要性に迫られた問題を解決する一過性のものではないのです。
ですので、もしもお子様の受験のためにこのコースをお考えの保護者の方にアドバイスがあるとすれば、受験直前ではなく時間に余裕のあるうちに、お子様の文章を書くことへの苦手意識を取る手段としてお取りになることをお勧めします。また社会人の方で文書が苦手な方も、一度作文を学ぶことは、説明・報告文を扱う直接的行為ではないにも関わらず、巡りめぐって大きな力になることでしょう。また教職にある方で作文を指導する必要性のある方は、言を待ちません。目的よりも、まずは楽しみながら実習を行うことが、大切になります。波及効果は「果報は寝て待て」です。
これまで下は小学校2年生、上は60代の大人まで受講歴があります。苦手だけれどもやる気のある方は、ぜひともクレア作文学校の門を叩いてみてください。文章の変化、それに伴う諸処の変化に驚くことでしょう。
講師1人につき3人までの生徒を教える個別指導塾です。入塾条件は生徒のやる気であり、学力は問題にしていません。生徒全員が目標を持ち、それを達成すると「勲章シール」がもらえるしくみがあります。私を含めた講師陣は「もし自分が子供だったらここを選ぶ」という塾作りが指針。外の大人達が言うからではなく、生徒自身が目標に向かって勉強していくというシステムの塾です。
教材開発はVICS(visible-instant understandable-clear-sipmle=視覚的・即座に明確に簡単に分かる)を全ての哲学としています。例えば「数学ビル」(参照;『わが子を算数・数学のできる子にする方法』PHP新書)は、分からなくなりはじめている原因点を視覚的に洗い出し、さらにどのようなことを学習していけばいいかまで分かります。学校教育では細部から勉強しがちですが、そうなると生徒には「何のために」という目的が見えてきません。全体から細部を見ることで、今いる位置、すべきことまでが分かります。「数学ビル」開発の動機は、私自身の落ちこぼれ経験にあります。他に「マッピング日本史」など、世の中のどこにもない教材を日々研究しています。
ビジネス以外には芸術活動を行っています。作曲については高校時代よりインスピレーションが湧き始め、思い浮かぶたびに今でも録音しています。小説は大学時代から描いています。絵画はたぶろう美術協会に会友として所属しています。芸術活動は私の命が尽きたあとまでを含む長期計画の上にある活動です。
池に落とした石の波紋が周りに広がっていくように、幸せを自然に拡げて行くのが目標です。お互いが運命的な出逢いをした、自他ともに「幸せな夫婦」を認めるカップルに取材をして、ウェブなどを通じて発表することにより、男女関係・夫婦関係・婚活に悩む人達への参考例を提供しています。「幸せな夫婦」はごく一般的な普通の夫婦と一体何が・どこが違うのか・どういう出逢い方をしているのか・お互いをどう思っているのか……これらを取材することにより現実の例を示しつつ、世のためになっていけたらと思っています。